保存会で最初の仕事は「水当番」
夕方から獅子舞の練習を始めるから『ヤカンに水を用意しとって』の声にやり方を尋ねて氷水を作りました。現在のローソン(蔚山町)の所に自転車屋さんがあり、その店で販売している角氷を一角分けてもらい、旧公民館(一新幼稚園隣にあった)で大きなヤカンにかち割りした氷と共に水を注ぎ込み、飲料水を作り練習で汗を流す皆さんの喉を潤しました。その頃はまだ自動販売機の普及はなく簡単に水が手に入らない時代でした。当時としてはコカコーラの赤い自販機が目立つくらいで物珍しさもあり大変な売れ行きだったと思います。
当時の公民館は玄関を入ってすぐ畳の間になっていて、玄関を入って左側の階段を少し上ると幼稚園のリズム室へ続いており、練習は畳の間とリズム室でで行われていました。私は訳も分からずただ獅子の胴着を被って練習される姿を見ていました。私は本祭りでは子ども達の集団をちゃんと行列について行けるように囲いロープを作りその中に、唐人(女の子)勢子(男の子)入れて一緒に歩いた事でした。まだ獅子舞の手ほどきは受けていなかったですね。公民館とリズム室での練習は、昭和 41 年から 55 年ごろまで続いたと思います。私も趣味で手にしていたカメラでリズム室での行動を写真に撮っていた様でこの頃から獅子保存会の様子をカメラに納め当時の資料が少しづつ残っていった様でした。
本祭りでの獅子舞が沿道の観客から沢山の拍手と歓声がすごく、また稚児さんと呼ばれた年行かない小さな子ども達が行列をつくって歩く姿に笑顔が絶えなかったかと思います。それはそれは長い長い行列でした。ロープを手にして子ども達の安全を見守りながらその雰囲気に高揚している自分が居たかと思います。
新町獅子保存会顧問 山本信夫(82)